フェイスブックにも書いたのですが、昨日の朝、娘が「学校に行きたくないなー」と言い出しました。まあ何かにつけてそんなことを言うので、ものすごく強い気持ちではないんでしょうけど。

理由は長縄跳び。

娘はカナダとアメリカで育ったので長縄跳びはほとんどしたことがありません。友達とちょっとやる程度。それも中に入って何回跳べるかなというタイプで、日本の、すごく長い縄に飛び込んで1、2回跳んでまた出る、というスタイルは未経験。
この長縄跳びを、いくつかのチームに分かれて何回跳べるか競ってるらしいのですが、娘はいつも引っかかってしまい足を引っ張っているのでチームのみんなから「また○○のせいで負けたよー」と責められるそうです。

僕は運動が苦手でアメリカ育ちだったせいで、やはり同じような目にあったので辛い気持ちはよくわかります。ただ、幸いなことに鈍感な僕はそこまで傷つきませんでしたが、その辺はとても繊細な娘。非常に心を痛めている様子。

で、そのことを友達と話してて改めて思ったんですが、組体操にしてもそうなんですけど、なんというか、こういう全員が同じことをできるようになりましょう、という軍事調練の練習的エッセンスが多分に盛り込まれた体育の内容って、前時代的じゃないですかね。 

アメリカやカナダの授業スタイル全てが良いとは思いません。日本の方が優れてる部分もたくさんあると思います。平均的な能力とか日本の小学生はとても高いですしね。
でもね、個人的に日本の体育の授業はおかしいと思う。というか狙いはなんだ?生徒みんなが健康的に体をしっかり動かすことが狙いなら、長縄跳びで回数を競う必要はないし、鉄棒で逆上がりができるようになるまで特訓する必要もないでしょ。
ゲーム感覚として競う要素を入れるとするなら、誰かが足を引っ張るシステムになってるものではなく、優秀な誰かが輝くシステムの競技にすべきだと思うのですよ。
百歩譲って長縄跳びで回数を競うなら、その前にちゃんと「失敗した人を責めない」という道徳教育をするべきでしょ。失敗を受け入れられる社会を築こうよ。学校として、教育の場として、必要なのはどっちなのよ。

とお父さんはすこぶる憤慨しております。

体操着だってなんで同じものを着ないといけないのかわかんないし、相変わらず半ズボンをはけとかいう謎システム。寒いっての。それなら先生も半ズボンになれっての。 あー、腹立つ。 

と怒りを発散し(鬱積してるとも言う)、今日も1日頑張ります。