東日本の震災から10年。ツイッターに「#あれから10年」というタグが流れてきました。3.11だなあと思ってたけど、そうか、ちょうど10年か。

ちょうど10年前、僕は新卒で入った会社で人事の仕事をしていて、4月の大異動に加えて人事制度が変わるのでその対応に忙殺されているところでした。

地震が来てとりあえず潜ったデスクの下から暴れ狂う複合機を眺めながら思ったのは、娘の保育園は大丈夫だろうかということ。ボロボロとは言わないけどお世辞にも新しいとは言えない建物で、何かあったらどうしようと心配で心配でたまりませんでした。ただ何かあったとしても、保育園に電話しても何か好転するわけじゃなく邪魔になるだけなので連絡するのは我慢。上司からの「帰れる人は帰って」という言葉で弾けるように会社を飛び出ました。

電車はもちろん止まっていたので歩いて(途中からは自転車で)帰りました。職住近接で良かったと心から思った瞬間です。

娘は当時まだ3歳。迎えに行った時にあまり不安な表情を見せていなかったのは保育園の先生のおかげでしょう。当時のツイッターを振り返ってみたら、家でテレビをつけたときに「地震」というフレーズを聞いて「わたしもさっきじしんあったよ!おなじ!」と報告してくれてたようです。かわいい。

奥さんは勤務先がかなり遠かったので帰宅困難者になり、大人しく会社に泊まることにしました。なのでその夜は僕と娘2人きり。大きな余震が来たらどうしようとビクビクしながら過ごしたことを覚えています。

当時の心境として覚えているのはそれくらいかな。

過去のブログを読んで、そういえば周囲は原発だ放射能だとやたらめったら騒いでて、水が売ってなかったりしたなあと思い出しました。なんか昨今のコロナ騒ぎとダブるところがたくさんありますな。科学リテラシーがないって残念ですね。

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あれからちょうど10年。

地震の1年後、奥さんのバンクーバーへの海外赴任が決まり、僕は会社を辞めて家族3人で海を渡りました。その2年後、今度はロサンゼルスへ転勤。ようやく慣れて大好きになった街とお別れし、再び引越し。さらにその2年半後、日本へ帰国。

海外赴任を経てスキルアップした妻は転職。
娘は3校目の小学校へ転校し、受験もして私立の中学校に進学。毎日楽しそうに通っています。
僕は半年の職探しを経て今の会社に。途中からはフリーランスのライター業も始めました。(去年は1本しか書いてないけどw)

毎日のんびり楽しく過ごしているけれど、振り返って見るとなかなかに激動の10年でした。楽しくやれてるのは周囲のサポートがあったからこそで、日頃助けてくれてる方々には感謝で一杯です。

次の10年、娘は順調にいけば社会人になり、手元を離れるのかもしれません。僕と奥さんがどこで何をしているかもさっぱりわからんのですが、家族3人が今と変わらず仲良く元気でいられればそれに勝るものはありません。どうかそんな10年でありますように。