気まぐれ思いつき日記

2012年4月から妻の海外赴任に伴い主夫業と育児に励む40代男性の日常。2年間ずつバンクーバー、LAに滞在、2016年8月末に帰国。現在は主夫と会社員とライターの三足のわらじで頑張ってます。バンクーバーやLAと関係ないことも多々あります。

2012/02

ハンチントンの「文明の衝突」という本の中で、世界は8つの文明に分類されています。その8つとは中華文明・ヒンドゥー文明・日本文明・イスラム文明・西欧文明・スラブ文明・ラテンアメリカ文明・アフリカ文明です。そう、アメリカやヨーロッパなどが「西欧文明」と一括りにされていて、他の文明も全て複数の国家にまたがった文明なのに、日本だけは唯一、一つの国だけで「日本文明」を築いているのです。
もちろんこの分類の仕方はハンチントンさんが勝手に提唱しているだけなのでこれが絶対ではない(実際に反論もある)のですが、それでも結構有名な本の中でこのように言われるほど日本という国の文明・文化は独特である、ということは日本人として理解しておくべきでしょう。
そんな独特な国で育った我々日本人が海外で生活するということは、なかなかにギャップが大きいところで、色々心配なところであります。郷に入っては郷に従えの言葉通り、上手く現地に馴染めればなあと思っています。

とはいえ、僕もアメリカ(USA)での生活を経験しているし、「まあなんとかなるべ、あいつらアレだろ?とりあえず笑顔で握手したりハグしときゃいいんだろ?(←ひどい偏見)」なんてイメージがなきにしもあらずというところだったんですが、妻の会社から「赴任前に読んでおきなさい」と渡された資料を拝読するに、結構アメリカと違うのね。地続きだし同じ人種で同じ言語(カナダは半分フランス語だけど)だし、なんとなく気質も一緒だと思ってました。どうやらリアクションが大きいとか身振り手振り大きいとか、あれってアメリカ人だけっぽいです。おうまいがぁ(しかめっ面して首をすくめながら)。
でもよく考えたらそもそも国が違うんだし、日本でも北海道と九州じゃ人種が違うくらい気質が違うので当たり前っちゃあ当たり前なんですよねえ。
そして資料によるとカナダ人の皆さんは結構「カナダ人であること」に誇りを持っていて、「アメリカ人と一緒にしてくれるな」と思っているそうです。知らなかった。一緒にしたりアメリカと比較したりしないように気をつけなければ。

冒頭の話に戻ると、同じ文明圏の中でさえそうなんだからいわんや異なる文明圏ならばその違いは推して知るべし、ということですね。心して臨まないといけません。

とはいえ、びびっていても仕方ないですし、異なる文化の中で暮らすということは価値感のパラダイムシフトを起こす可能性が存分にあり、それこそ僕が望んだ「色々な経験」の最たるものなので、精一杯吸収したいところです。
同時に、アメリカと地続きでおそらく日本よりはるかに影響を受けやすいであろう環境にありながらカナダ人がカナダ人らしさを失わないように、僕も日本人としての矜持を持ち、日本人らしさを失わないようにしないとなあとも思うわけです。
とりあえず、新渡戸稲造の「武士道」でも読んでおくかなあ。少なくとも日本について説明できるようにはなっておきたいですよね。


文明の衝突と21世紀の日本 (集英社新書)
集英社


英語と日本語で読む「武士道」 (知的生きかた文庫)
三笠書房


日本文化を英語で紹介する事典
ナツメ社


英語で話す「日本の文化」 (講談社バイリンガル・ブックス)
講談社インターナショナル

先のエントリに書いたとおり、春からカナダに行くわけですが、色々と考えたり気にしたりしないといけないことがありまして、まあその辺は海外赴任する人の共通の悩みかな、ってんで後日どなたかの参考になったらいいなあと少しずつ情報を書き溜めていこうと思います。

で、いきなりでなんですが子供の言語教育についてです。赴任決定当初は「これで娘ちゃん、英語ペラペラになるぜ、きゃっほぅ!」と喜んでいたのですが、どうもそういう問題ではなさそうです。

というのも、うちの子は現在4歳で、日本語もまだたどたどしい感じです。そんな状態で海外に行くときにとても気をつけないといけないことが日本語教育とのこと。学校は現地校に通わせるつもりなのですが、当然まだ英語なんて全然話せません。だからといって英語に慣れさせようと家庭でも英語で会話をしていると、日本語がだんだん疎かになり、どっちもどっちになってしまいます。
このような状態をセミリンガルとかダブルリミテッドとか言うらしいのですが、日本語も英語(外国語)も上手に話せず、伝えたいことが上手く伝えられないためすごくストレスが溜まる状態になってしまうそうです。
このダブルリミテッドの状態の一つとして、日本語の中に英単語が混じってしまったりするという現象があるそうです。僕も幼少期にアメリカに滞在していましたが、幸いほとんどありません。両親の日本語教育がすごくしっかりしてたんだろうなと感謝です。それでも、たまに少し、こんな感じになります。特に英語を喋るときは思考回路を英語モードに切り替えるので、そうすると簡単な日本語も出てこなくなったりします。こんなの日常的だったらそらストレス溜まるわなあ。もし海外に永住するなら英語だけでもいいんでしょうけど、割とすぐに日本に帰ってきてしまいますから、そんな状態になったらかわいそうですよねえ。

ちなみに、じゃあどれくらい滞在すれば喋れるようになるの?というと、3年くらいすると外国語が少しずつ喋れるようになり、5年経つとかなり喋れるようになる、ということです。我が家は果たしてそんな長期間滞在するものなのか。予定では一応2年のようですので望み薄いですねえ。というか、5年もビジネスの現場から離れると僕が社会復帰できなくなりそうだw

そんなわけで、日本にいるときよりずっと一生懸命日本語を教えないといけません。英語禁止。日本語の勉強かあ、どうするかなあと。いまは保育園がなんでも教育してくれるのでスーパー助かってるんですが、これからはそうもいかないですね。
と少し悩むところもあるわけですが、やはり異文化の中で暮らすというのは娘にとってもきっとプラスになると信じて、彼女のストレスが増えないよう楽しい日々を送りながらしっかり勉強していけたらなあと思う次第です。

いきなりでなんですが、タイトルのとおりでございます。いわゆる無職ないし自宅警備員という職種(?)に甘んじる所存です。別に仕事とか職場に不満があるわけではございません(むしろ現状大変満足しております)。単に、奥様の海外赴任が決まったので、それにくっついていくことにした、というだけのことです。

と、さらりと書きましたが、それなりに逡巡はありました。一応ね、仕事でもそれなりに評価いただいていたわけだし。プー太郎になってしまうのも勇気いりますよね。でもまあ、悩んでいても仕方ねーだろってんでえいやあと決断した次第であります。

決断にあたってのポイントは大きく二つあります。
1)家族との時間を大切にしたい
2)なるべく色々なことを経験したい

1)家族との時間を大切にしたい

奥さんが単身赴任という手もあるにはあります。今でも家事と育児をこなしながら仕事をしているわけですし、やってできないことはないんですけどね。でも、何も家族が離れてまで守らないといけないことかな、今のポジションって、と思うと僕の中ではそこまでではありませんでした。お世話になった上司・同僚の皆様には申し訳ないですけど。会社に僕の代わりはたくさんいますが、家族に僕の代わりはいないですからね。この辺のワークライフバランスについては色々思うところがあるので気が向いたらまた改めて書きたいなと思ってます。

2)なるべく色々なことを経験したい
アホかと言われそうですが、僕のポリシーです。できる経験はなるべく色々したい。やらない後悔よりやって後悔。当たって砕けろ。うん、これはちょっと違うな。家と会社の往復をする安定した生活より、仕事捨てても海外で主夫やる方が刺激的だし楽しいよね!と思ったわけです。


もちろん不安はあります。帰ってきたらどうやってメシ食おう、とか思いっきり不安です。でも今の会社が100%安泰かと言えばそんなことないわけで、こんな先行きめちゃくちゃ不透明な世の中ですから、リスクをとりながらでも楽しく生きたいなと。
幸い僕は英語圏の生活であればそんなに不自由はしないだろうとか、帰ってきてもなんとか職にありつける自信(どこから来るのかは不明)もあるので、その辺も決断の背景にはあるかもしれません。

でもホントね、人生楽しまなくて何を楽しむんですか、って思うのですよ。どんだけ安定してたってつまらなかったら意味ないじゃないですか。みんな、もっとQuality of Lifeを高めて幸福度を上げていこうぜ!

ということで、おがたは2年ほど主夫してまいります\(^o^)/
せっかくなので目一杯楽しむぞー!

あ、赴任先はバンクーバーです。
バンクーバーのお得な情報、心よりお待ちしております。


以上、まずはご報告まで。


(追加情報)
ちきりんさんのブログにこのエントリを載せていただきました。
「退職挨拶メール」を共有しよう!

そして、ちきりんさんの過去のエントリに、まさしくこんな話が出てました。
読んでたのにすっかり失念してたなあ。
すごーく興味深いお話なので是非ご一読を。
「イクメン」どころの騒ぎじゃない時代が来ます

何でオススメされて手にとることになったのか忘れてしまったのだけれど、すごく興味をひかれたので読んでみました。


「凄まじい。」


まず出てくるのはそんな一言。いやね、中国って国、なかなかちょっとちょっとな国じゃないですか。臓器売買とか人身売買とかあるよーとか、情報統制すごいよーとか、漠然とした知識としてはもちろんあるんですけどね、取材対象者の息遣いや表情が伝わってくるようなものすごく生々しくリアルな描写に触れると、改めてすごい国なんだなあと思うわけです。日本で普通に生活していたらまず見ることはおろか想像すらすることのない世界があるんだなと実感させられ、息苦しささえ感じさせられます。

この本に出てくる人たちは、エイズ村と呼ばれる、村民の多くがHIVキャリアの村の女性や、都会で楽しく暮らそうと騙されて北京に出てきて売春婦をやる女性、嫁にするために人身売買で買われてきた女性、危険思想の持ち主とされて当局に追われる女性などが次から次へと出てきます。農村では「女性に生まれるくらいなら牛や馬に生まれる方がまし」と言われるくらい虐げられる女性達。そんな彼女達を「たくましく生きています」なんて軽々しく書かず、ただひたすら現実を描写する著者の筆力に圧倒されるのです。

読んで何をするわけでもないし、すごく楽しい本でもないのですが、色々と感じるところがある一冊。色々な方に是非読んでみてほしい本です。すごくオススメ。

潜入ルポ 中国の女
クリエーター情報なし
文藝春秋



しかし、中国がこんな国になったのはやはり共産国家になったからなんでしょうかね。毛沢東さんの手によるものなのかしら。以前いただいてまだ最初しか読んでない「マオ」を読まねばなあと思ったのでした。これも読んだらまた感想を書きたいと思います。

昨夜、千石先生が亡くなったとの報を聞き、かなりショックを受けました。ムツゴロウさんやさかなクンと並び、お茶の間に生き物の素晴しさを伝えてくれる貴重な方でした。僕は最近あまりテレビを見ないので千石先生の動向も知らなかったし、うっかり忘れたりしてたわけですが(←)、でもやっぱり偉大な方には変わらないわけです。
そんな千石先生についていまさらつらつらとネットで情報拾いをしていたら、こんなステキなインタビュー記事が出ていました。

学びの場.com

たとえば、自然観察会で子どもたちは、見つけたのが小さいコクワガタでもものすごく喜びます。今どきのお店には海外から輸入した大きくてかっこいいクワガタも売っていますけれど、子どもたちにとっては、小さくても自然の中で、実際にそこに棲んでいる虫を自分で見つけるほうが意味があるのです。体験を通じての理解は感動を呼び起こします。




チンパンジーでもサルでも、親は子どもにとりたてて何かを教えることはしていません。子どもは親のすることをじっと見ている。それを真似て覚えていくわけです。「お母さんがあの草食べているから、僕も食べてみよう」という感じにね。最初、子どもはその草を全部食べてみる。すると苦い部分があり「ペッ」と吐きだす。で、お母さんをもっとよく見てみると、太い茎は残しているなというふうに、だんだん学んでいくわけです。これが本当に子どもの血肉となる学びの基本姿勢なのかもしれません。


 
押しつけの逆で、親自身が苦手なものだからといって、子どもにも体験させないというのもよくない。以前、上野動物園の爬虫類館に行ったところ、3階の踊り場でアメリカ人の女性が真っ青になってうずくまっていたんです。心配になって声をかけたら、彼女は「大丈夫です。私は小さい頃、テキサスで部屋にガラガラヘビが入ってきて以来、爬虫類はまったくダメなんですが、子どもたちには見せたいと思ってここに来ました」というんです。すごいなあと思いましたよ。親が苦手でも、子どもには教育上見るチャンスを与えてあげたい、ということですから。そういう姿勢は大事だと思います。



うんうん、心から納得ですよ、先生。学ぶ場を与えた上で子供が拒否したのなら諦めますけど、僕はできるだけ娘に生き物とふれあい学ぶ場を与えられるようにしたいと思います。

最後になりますが、千石先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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